ねこさん(夫)と私と子どもとうさぎ

ねこのような謎の生き物、ねこさんと2020年生まれの坊やの観察記録。ものづくり仕事の私の所感

大きな器をつくる

子育てをしていると最高に素晴らしいはずの我が子が、他の子と比べて,何か遅いとか出来てないことが多いのではと不安になることがある

 

先日偶然プールで幼稚園の友人の女の子(3歳)に会って共に遊び、その子がバシャバシャ顔を水につけて泳いだり、自転車にのったり、鉄棒で回ったりする様子を目の当たりにして、いくら走ってもおいつけない息子が赤ちゃんにみえて愕然とした。クラスみんながいるときは普通に活発に上手にできてるように見えたのに

この子より出来る事,何かあるのか考えてしまって立ち止まる。

アンパンマンも描けないし、歌や踊りも苦手みたい。僕出来ない!とすぐ怒って泣く様子に諦めが早すぎる!と苛立つ

 

でも思うのだ。作品作りなら早く出来ることが素晴らしいわけじゃないし、なんでも上手なことが良いわけでもない。材料が高価なほど価値があるわけではないし、いつまでも完成しない程良いというわけでもない。ピタリとくるには時間がかかる事、よくわかってるはずなのに

 

息子は今大きなうつわをつくっている最中なのだ。親にできるのは,それを壊されないように、邪魔しないことだけ

ゆっくり大きくなるのを見守れるのは幸せなことである。

 

彼女の真似をして,投げキッスを覚えて投げずに繰り返してる。すごく可愛い

 

#子育て#3歳#男の子

 

 

どこにいても

出産した友人にやっと会うことが出来た

私たちは高校時代からの間柄だが今は東と西に分かれて暮らしている

彼女がこちらの地域に暮らしていたこともあるが、期間がずれていたので、もう何十年か会うのに時間のかかる距離を過ごしている。

が、必ず年に一度二度会う努力をしている

妊婦の頃も来てくれたね、おでんを食べに来たと言ってたけど笑

コロナで会えない頃に生まれた息子に会ってなんだか不思議な感じ

昨年は会う直前、私がコロナ感染、会えなかった彼女も結局地元で感染し、寝込んでしまうことになり会えず。仕事に戻る前に会いたいねと今回予定を合わせて新幹線に乗ることにしたのだ

親しい間柄だけど簡単に連絡をとったりはしない。手紙や誕生日にかこつけて電話する程度。不用意な言葉で影響を与えないよう気をつけているつもりだけど結婚、家を買う、出産と大きな事に影響してしまった気もする

小さなお嬢さんは人見知りだそうで抱っこはしなかったけど、このあと何度も会うことになるおばちゃんだよとあいさつしてきた。

 

何年先もの約束をしたい

消えない記憶を重ねたい

いつか君の言った私の車で事故って,そのままわ二人死んでしまったとしてもかまわないという言葉を、大事に箱にしまっている

私たちには大切な家族がいる

それでも変わらず、君のことを大切に思っているよ

子どもの話ばかりになってしまうけど、幸せに、困ったことになったり、ひどく疲れてないか心配してる。でも彼女の夫は本当に彼女を大切にしてるし、めちゃくちゃ気の利いた上に出来る人格者なので本当はなんにも心配いらないんだ。実際実家より頼りになると言っててさすが!と思ったよ

私たちは二人で暮らすより、多分幸せになっている でももし、二人で暮らす道もあったなら、と考えることもある

その場合、わたし達の大切な人は増えないから

今が二人幸せでよかったなとしみじみ思う

これからも遠く離れても身近に、共に生きていきたいと思う

 

 

 

 

 

 

後ろ向きが前向きに

先日温泉で話しかけてきたご婦人に、こんな大変な時代を生きる子どもで可哀想ねと言われた

7.80代の方にそんなこと言われるとは思わずびっくり、たしかに以前は私もこんなことを考えていた。それこそ核戦争後の地球みたいな状態や震災や災害、気候変動、こんな不安定な世界に産んでもいいのか、長く自問してきた。

 

20代の頃40を機に入学した後輩が世界は閉じる方向に向かっていると話していたのが印象的で

ずっと言葉の意味を考えている。

その後彼女は工芸をやめ、親を介護し、親や姉を見送ったと賀状に書いてあった。子どもや工芸の話はかけないなと思い、やり取りは途絶えてしまった。彼女の世界は今,これからどういうところへむかうのか

私が結婚しない、子どもを持たないことを選べなかったのは単純に孤独が怖かったんだ、孤独な道を進む勇気があるなら共に生きてくれる、私を支えてくれる人を探して歩く気力もある

どの不安が自分の中で一番大きいか整理した結果、私は昔も今も幸せで、未来に希望を持っている

若者にありがちな不安定さで後ろ向きに全力で走り続けた結果違う道の前向きになったような感じだ、不安な時代だからこそ新しい希望を産む必要を感じたのだ。実際子どもが生まれて多くのことがどうでもよくなり、1日に何度も掃除機をかける"お母さん"になった

 

ちびっこ連れだと色々な人が話しかけてくる

害されるようなことはほとんどない。かわいいねと、会えて嬉しいといわれる。幸せが君を中心に広がっていく。息子は毎日こんなに楽しいことない!って顔で笑う。ずっと盛り上がっている。もう本当にそれだけでいい

世界にあるのは幸せだけでいい

中華一番

結婚してから作るようになったメニューに中華料理全般がある。

一人暮らしじゃあんまり盛り上がらないもんね

甘酸っぱくてカリカリの酢豚、海老マヨエビチリ、ワンタンでつくる餃子、回鍋肉、麻婆豆腐このあたりは見た目はともかく味はよく、良い店のプロの味と言ってもらう(見た目や耐久性はかないませんが)

そして遂に長年挑戦してきた中華がゆの尻尾をつかんだぞ!そもそも水につけてから炊かない!スープで炊くもの!油を絡めた米を煮えたったスープに落として米を割るそうな。もち米炒めたりもしたけどこっちのがイメージに近い。香港で食べた骨を割った鶏肉の入ったおかゆ、路地裏で生きた鶏を売ってるこだわりようと美味しさが忘れられない

今回は鍋がちいさすぎたのと米を感想させなかったのとスープが敗因だけど、もっと美味しくなりそう。ただのお粥を中華味にしたのとは全然違う〜

美味しいものが作れるのは美味しいものを食べたことがあるからと常々言ってるのでまた美味しいもの探しに行こうね!

 

排水溝を洗う関西の男

学生時代、同級生の父が出張ついでに娘の家に泊まり,排水溝の掃除とかして帰ると聞いてめちゃくちゃびっくりした。

私の父は超亭主関白、排水溝どころかコップすら持ってこない。いろんな家庭があるものね、と思ってたら今度は後輩が姉と暮らしてる部屋に父親が勝手に入り排水溝を洗ったりフライパンに油を塗ってきたりすると腹をたててた。油?テフロン加工なのに鉄のフライパンみたいにベタベタ塗って放置されてるという意味だそうで実家でもしてるらしい

ねこさん(夫)も私が帰省したりすると、排水溝、フィルター類、洗濯機のクズ等を掃除してくれる。

三人の共通点は関西在住ということ(出身かは不明)そういえば京都の友人も汚いとこの掃除はお父ちゃんの仕事っていってたな。ちなみに家の父は九州出身だわ。。

なんかあるんだろうかと思ってたら先日ドラマで「嫁の知らないうちに排水溝とか掃除してたら離婚にならない」みたいなセリフがあってそういう考え方がこの辺で受け継がれてるのか、いいぞ!もっと流行れ!って思いました笑

行き届かないところを助けてくれるだけで全然ちがうのよ、出来てない!っておこるんじゃなくて

逆にねこさん担当のゴミ捨てをした時私が必ず捨てに行って欲しいと思ってるわけじゃないよと言ったらねこさんが感動してた。お互い荷物を分け合うようでありたい。

 

先日ねこさんがある動画を見て感動した!憧れると言っていたのだが、それは老夫婦が夫が店員さんと話してる間に他ごとをしている妻が必要になるものを次々夫が差し出してあげるというものらしい。良い紳士だったそうな。憧れて目指してくれるのありがたいです!期待してる

 

いつも喜ばせて欲しい、じゃなくて喜ばせたいなのね貴方は

 

#ねこさんと私

きみよ変わらずに

学生時代の友人に会いに九州へ行った

夫の転勤で北に行く可能性があり、今より離れるんだったら会っておきたい人と浮かんだのが彼女の顔だった。急に焼き物の職人になると言い出したときはびっくりしたけどなんだかんだでもうすぐ10年になるのか。皮肉屋でひねくれ者だけど、手間を惜しまず親切なところがあり、今ややりたい放題の私を叱れる信用できる友人。せっかく素敵な友人と出会えたのに縁が切れてしまうことを惜しくかんじるようになった。ともに身を削り,語り、泣いた日々の続きで会えることの嬉しさ。彼女の前の私は今でも作家だ

 

家族写真

ねこさん(夫)は男二人兄弟な為かあまり写真をとる習慣がなかったそうで家族写真、中学以降の写真がほとんどない。そのせいか、過去の記憶はほとんどないといつも言う。3歳の七五三したかも曖昧らしい

私は母が写真にこだわっていたこともあり、毎年の家族写真がある。小5からずっと同じ顔って笑われたけど写真をみると思い出すこともある。毎日手軽に写真がとれるようになった子は膨大な記録から記憶が残るのだろうか。私との毎日を、忘れてしまうのだろうか、

先日七五三で初めてプロにお願いして写真を撮ってもらった。結婚式はお仕着せのなんだかイマイチな写真だったので今回はカメラマンを選んで撮ってもらった。撮ってる間子どもはふざけたりウロウロしたり、まともに撮れてる?とヒヤヒヤしたが少し先に届いたデータはイメージ通りの素敵な家族写真だった。真面目な顔で寄り添う私達の真ん中でふざけてくしゃくしゃの息子が可愛くて、特別な時間がこうしてきりとられたんだと思った。と、同時に幼い私を写した母の眼差しにも気づく。ああ、こういう所を可愛く感じてたんだな。

一眼レフカメラで頑張って撮ってたわりには、気取った可愛く撮れたものはほとんどなく、なんとなく不満だった。妹は綺麗な服を着てポーズを取ってるのに私はなんだかいつもふざけてヨレヨレ。3歳から自分で服を選んでたのでここに写ってるのはお気に入りを着た大層楽しんでる私、仕方ない。母ももっとシャンとして!と思いつつ撮ったのだろう。

 

プロが撮った写真を見た息子はあー!これ、かわいすぎるねぇなんて言う。

いかにも楽しげな、しあわせそうな家族写真は私たちの宝物になった

 

#写真#七五三#3歳男の子#家族